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鑓で武装する百姓(『川中島合戦図屏風』紀州本)

永正六年(1509)、播磨国鵤荘で百姓の与七が人夫役を勤めなかったので罰金を課されたが、なおも人夫役をないがしろにしていた。
さらに与七は近隣より仲間を集め村の政所に対立する姿勢をとったため、政所は与七らを成敗すべく沙汰人ら下級役人を派遣した。
沙汰人らが与七の宅内に押し入り放火した際、与七らは武装し抵抗したため、沙汰人の中間が鑓傷をこうむったものの沙汰人側は鑓三本を切り折り、弓を放ち一人の足を射たため、与七側は逃亡したという。
ひとりの百姓の労役拒否が小競り合いに発展した事件であった。